2021年5月21日のブログ「中銀カプセルタワーの敷地売却について」にて、中銀カプセルタワーという140カプセルの区分所有マンションと1,2階の商業部の区分所有者の総議決権数175のうちの4/5以上の賛成を得て、敷地売却決議の議決をして解体されることが決定したことについてまとめました。

公開直後に、中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトからご連絡を頂き、修繕積立金や管理費、賃借料などについて情報を頂きました。

せっかくのご縁なので、保存・再生プロジェクト企画の6月9日の見学会に参加して現物を見て、疑問に思っていたこと、何故、大規模修繕工事が実施されなかったのか?についてほか、お話を伺ってきました。

また、設計者の黒川紀章の著作である1969年の「ホモ・モーベンス」(動民)を読んで、黒川氏が描いた未来を、50年経過した現在の視点で読み解きたいと思います。

中銀カプセルタワーの構造

中銀カプセルタワーの見学会で当時の販売用パンフレットを入手しましたが、その構造の図面があります。

中銀カプセルマンシオンの販売時パンフレットより引用

中銀カプセルマンシオンの販売時パンフレットより引用

カプセルタワーは、A棟とB棟の二つの建物から構成されています。6階、9階、12階にデッキがあり、A棟、B棟を行き来できるようになっています。

中央の構造物に、下から順番に長さ4m x 幅2.5m x 高さ2.5mで出来たカプセルを4本のボルトで固定させていく構造になっています。1972年竣工であるため、旧耐震基準で設計されているおり、現在の新耐震基準には適合していないそうです。

天井からの雨漏りも、配管からも雨漏りがあるそうです。行政が除却認定して、4/5以上の組合員議決権数で敷地売却決議されているので、かなり痛んでいると思っていましたが劣化は深刻のようです。

カプセルとカプセルの間は、30㎝程度ですので人が入って作業が出来ないという問題があります。カプセル1つ1つの防水工事も共用部・専有部の配管の補修が出来ないという課題がありました。


12階デッキより、13階のカプセル(専有部)床下配管の様子

写真は、13階のカプセルの下の様子なのですが、ここはたまたま下のカプセルがない場所なので、配管を修理することが出来ますが、配管はカプセルの床下を貫通しており外側から配管を交換する前提の構造にはなっていました。

また竪配管は、構造とカプセルの間を通していますが、カプセルを外さないと修理できない構造でした。


中銀カプセルタワーの12階デッキから撮影した竪配管

竪配管の交換は、もしかすると、デッキとデッキの間で配管を切断すれば更新可能かもしれませんが、通常のマンションのパイプシャフトより狭く難しいと思われます。

中銀カプセルタワーは何故、大規模修繕工事ができなかったか?

黒川紀章建築都市設計事務所では修繕をどのように考えていたのでしょうか。リンクのレポートの12ページに2002年と2006年の検討した案の解説がありますが、中央の構造部にクレーンをつけてカプセルを上から順番に一つ一つはずして解体して、カプセルを修理または新品交換して、再び組みなおすプランでした。

区分所有法と管理規約は、共用部の管理・保存・変更に関するルールを定めたものですが、専有部を取り外さないと共用部の大規模修繕工事できないということですと、区分所有法を適用させることが出来ません。カプセル(専有部)の区分所有者全員が同意しないと大規模修繕工事ができないということになり、無理があります。

区分所有マンションとして分譲するのではなく、オーナー物件として賃貸マンションとして販売するべき物件でした。

黒川氏のメタボリズム(新陳代謝)思想は、修理が必要になったカプセルだけ、入れ替える構想だったのですが、残念ながらメタボリズム思想を、設計に落とし込むときに、詰め切れていなかったと言わざるを得ません。

カプセルの更新をともなわない大規模修繕工事は、35年前に1回実施したそうです。カプセルを一つ一つ上から外して修繕した場合の見積は、20億円以上だったそうです。修繕積立金の金額ではカバー出来ない金額です。一人当たり1420万円以上となるため、断念せざるを得なかったようです。仮に20年に一度大規模修繕を実施するとるならば、修繕積立金は月額59,000円になってしまいます。なお実際の管理費・修繕積立金は借地料込みで17,300円だそうです。

仮にカプセルとカプセルの空間が、人が入って作業できる80㎝程度あり、防水工事や、配管の交換が出来る構造になっていれば、もう少し長寿命化できたかもしれません。

黒川紀章氏の「ホモ・モーベンス」のカプセル宣言

なぜ、カプセルタワーをつくったのか知りたくなり、「ホモ・モーベンス」を入手しようとしましたが、すでに絶版でした。中古流通価格も高いため、二の足を踏んでいると、小平市中央図書館にありました。

黒川氏は、建築家であると同時に、都市計画家であり思想家です。1969年の「ホモ・モーベンス」は動民すなわち、都市・建築・芸術・技術と私たちの生活が「動」という軸で通じている価値を持った人間として定義しており、その動民のためのカプセルとして位置づけています。

後半にカプセル宣言の1条から8条までが解説されています。各条を要約すると以下となります。

第一条 カプセルとは、サイボーグ・アーキテクチャで人間と装置を超える存在であり、道具としての装置ではなく、それ自体が目的的存在である。

第二条 カプセルとは、ホモ・モーベンスのための住まいであり、建築の土地からの解放であり動く建築の時代の到来である。

第三条 カプセルとは多様性社会を志向し、個人の自由が最大限に認められる社会の選択の可能性の大きい社会を目指す。生活単位としてのカプセルは個人の個性を表現し、画一化に対する個人の反逆である。

第四条 カプセルは個人を中心とする新しい家庭像の確立を目指す。夫婦・親子という仮定関係は個人単位空間のドッキングの状態として表現される。

第五条 カプセルは故郷としてのメタポリスをもつ。カプセルと社会的共有空間とのドッキング状態が新しいコミュニティになる。

第六条 カプセルは情報社会のフィードバック装置である、工業社会から情報社会へ移行するなかで、大量な情報の洪水から個人を守り、フィードバックと拒否のメカニズムをもつ個人が自立するための空間である。

第七条 カプセルは工業化建築の究極的な存在である。パーツの組み合わせにより、選択的大量生産方式となり量産により多様性の時代が到来する。

第八条 カプセルは全体性を拒否し、体系的思想を拒否する。建築は部品に分解されて機能単位としてのカプセル化される。建築とは複数のカプセルの時空間的なドッキングの状態として表現される。

1条はコンセプトを説明しています。私が1条を読んで思いついたのは機動戦士ガンダムのモビルスーツのような存在でした。2条にあるようにカプセルは動くことを想定しています。4条、5条は、個人にカプセルがつながって家庭の単位になり、カプセルがさらに集まって社会になるようなところは私には理解できませんでした。飛躍があるように思えます。6条は情報過多の時代の到来をすでに予見しており、そのフィルターの役割やフィードバックの役割を果たすというあたりは素晴らしい未来予想ですが、カプセルよりもっと小さなスマートフォンがその役割で果たせる時代になっています。情報を遮断するデジタルデトックスの用途としての役割をカプセルが果たせると思いました。7条、8条の多様性や個性の表現は、私にとっては意外でした。移動するため、普及させるためにはコスト削減が重要で、そうなると規格化が必要になってきますが黒川氏は個を大事にしており量産を意識しつつも規格化したくなかったようです。

「ホモ・モーベンス」では、3つの革命を予見しています。通信革命、交通革命、流通革命

通信革命は、現在のインターネット社会のことです。流通革命は実現されているので説明は省略します。

交通革命は、新幹線、飛行機、自動車によって移動の自由の時代が得られるとしています。都市は、10,000m(10Km)圏内の範囲(直径3㎞)の人があるく範囲のメトロポリス(人口1万~10万)と、メトロポリスを結ぶ、10,000m(10㎞)から100,000m(100㎞)圏内までを結ぶ交通手段が自動車、さらにメガロポリス、1000km圏内を結ぶ交通手段が新幹線として、どの交通手段がどのスケールに対応する構造になりえるかを選択する必要があるとしています。アメリカの市民運動家でありジャーナリストのジェーン・ジェイコブスの代表作1961年の「アメリカの大都市の死と生」も引用して、機能分離された都市空間の道ではなく、人々が集まり、子供たちが遊び、営みがある空間として道が都市をつくっていくととらえています。

人が歩くことができる10㎞圏と、車や電車で移動する100㎞圏、新幹線で移動する1,000㎞圏のように分けて都市を発展させていくということを考えていたようです。車については、パーキングスペースの在り方、その場所での情報センター的役割、乗り換え点的な機能などを考えています。黒川氏は自動車には注目しており、建築とは別の形でカプセルになりえる存在として発展していくことを期待していました。


世界の先進都市では、都市中心部に車を入れない規制をしているノルウェーのオスロや同じく検討しているマドリッドやパリ、アテネとニューズウイークの記事にもあります。黒川氏は50年先を見た都市計画を構想していたと言えるでしょう。

成熟した都市での交通革命が実現すると、3つの革命はほぼその通りになりそうです。先を見る目があった方でした。しかしカプセルは普及しませんでした。単に、カプセル単位で修繕出来ない構造であったことが原因ではなかったように思います。何が違ったのか、それは別の機会に考えてみたいと思います。

なお、カプセルは普及しなかったのですが、カプセルホテルは普及しました。この記事によれば1970年に大阪で開催された国際博覧会で見かけた黒川紀章氏のカプセル住宅を見て、ニュージャパン観光株式会社の経営者が黒川氏に相談して検討が始まり、消防法や保健所等の折衝を得て1979年に大阪の東梅田にあるカプセル・イン大阪が誕生したそうです。

日本の宿泊事情、経済合理性のニーズにはまり、現在も存在しているカプセルホテルですが、黒川氏のカプセル宣言にある「人間と装置を超える存在でそれ自体が目的的存在」ではないかたちでカプセルが普及したのは皮肉でした。

まとめ

  • 中銀カプセルタワーは、総議決権数4/5以上の賛成を得て、敷地売却決議の議決をして解体されることが決定しています。
  • 何故、大規模修繕工事が実現できなかったかを中銀カプセルタワー保存・再生プロジェクトの見学会に参加して確認しました。カプセルを上から順番に全部外さないと修繕できない構造であり、修繕費が20億以上かかることが原因で修繕できないことがわかりました。
  • 1969年の黒川氏の著作「ホモ・モーベンス」にカプセルのコンセプトがまとめられています。

以上

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