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玉川上水緑道20210616
こんにちはreader subscriberさん,

写真は、初夏の玉川上水緑道の植物です。
中銀カプセルタワーは何故、大規模修繕工事が実施できなかったのか?
http://manshion.runkodaira.com/nakagin-capsule-tower2/

ブログ更新しました。

■中銀カプセルタワーは何故、大規模修繕工事が実施できなかったのか?
1972年竣工、建築家の故黒川紀章氏のメタボリズム思想のカプセルで作られたカプセルタワーマンション、行政の除却認定を得て、管理組合の総議決権数の4/5以上の賛成で、敷地売却決議され、解体されることが決まっています。

中銀カプセルタワー保存・再生プロジェクトでは、解体後のカプセルや映像に残すための活動をしており、見学会を実施しています。

メタボリズム(新陳代謝)で、カプセルを入れ替えることが出来るのがコンセプトだったのですが、実は一度も入れ替えることなく、解体することになりました。

見学会では、何故、大規模修繕工事ができなかったか?という視点で、見学及び質問してきました。
気になる方は、是非ブログをご覧ください。

■黒川紀章氏のホモ・モーベンスを読みました

1969年の黒川氏の著作「ホモ・モーベンス」(動民)、カプセルのコンセプトを知りたくて読んでみました。

動民とは、都市・建築・芸術・技術と私たちの生活が「動」という軸で通じている価値を持った人間として定義しており、その動民のためのカプセルとして位置づけています。

後半でカプセル宣言で、第一条から八条まで出てきます。
第一条で、「カプセルとは、サイボーグ・アーキテクチャで人間と装置を超える存在であり、道具としての装置ではなく、それ自体が目的的存在である」としています。

並々ならぬ思い入れでコンセプトをつくったのですが、ちょっと飛躍しすぎていたのかなと思いました。残念ながらカプセルは普及しませんでした。

1969年の著作ですが、情報革命、交通革命、流通革命と3つの未来予測をしており、50年後の社会を予見していますが、その方向に社会は動いており、黒川紀章氏は、先を見る目を見る、建築家であり都市計画家であり、思想家だったと感じました。

カプセルは普及しませんでしたが、1979年に大阪の東梅田にあるカプセル・イン大阪につくられたカプセルホテルは普及しました。

宿泊事情、経済合理性のニーズにはまったカプセルホテルは、黒川氏の相談があって検討がスタートしたようです。
「人間と装置を超える存在でそれ自体が目的的存在」ではない形でカプセルホテルが普及したのは皮肉でした。

よろしかったら、ブログお読みください。

水曜日も終わりました。週末までがんばりましょう!

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読んでくれてありがとうございます。 また近いうちにお会いしましょう!
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